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ベアートロッソ目白店オープン
2013.3ようやく『ここだ』という場所を見つけました。そう、今店舗がある目白のこのテナントです。

ここに来たのは全くの偶然で、不動産屋も候補に出していませんでした。

しかし、ここだと言う確信がありました。あこがれの目白に『目白バッグ』を作りたかった。という思いが強かったからかも知れません。

ここなら鞄へのこだわりを理解してくれるという期待があったのかもしれません。イノウエサックスは元々池袋が本店というのも何か運命を感じずにはいられませんでした。

実際、目白に店舗をオープンして見ますと素材、縫製へのこだわりを来店されるお客さまは理解してくださいました。

『毎日の暮らしを生き生きとしてくれる愛着の一品』を届けるべくこれからも『いい鞄作り』を追い求めていきたいと思います。

テナントを探しに青山、代官山、恵比寿をあたるもピンと来ませんでした。
2013.3お客様から店舗に行きたいとお声を頂きテナントを探しに青山、代官山や恵比寿と店舗探しましたがどれもピンと来ませんでした。

決まっていたドラマも東日本大震災で流れ
2011.3決まっていたドラマも東日本大震災で流れてしまい自宅を事務所にしてドラマの仕事を淡々と行ってました。

『ブランド』だけを手に独立を選びました。
2011.2追いかけてきたこだわり、お客様の思いを活かし続けたい思いが勝り、『ブランド』だけを手に独立を選びました。

子会社の社長になるか、独立かの選択を迫られます。
1998~2011『毎日の暮らしを生き生きとしてくれる愛着の一品』13年間『ベアートロッソ』というブランドを育ててきました。しかしある日、子会社化の話が言い渡されました。

金具をメインにする子会社としてでは『ブランド』を保つ事ができません。

子会社の社長になるか、独立かの選択を迫られます。

『ベアートロッソ』が誕生しました。
1997次は、金具の勉強すべく東京メタルに入りました。

ここで、ブランドとして世にだしていこうと
『ベアートロッソ』が誕生しました。

さらなる飛躍のため新天地に旅立ちます。
1997いい鞄作りを目指すことで実際に業績が上がりました。

いいものを作れば、いいものを買ってくれるお客様はいると確信しました。

もとよりここへは学びのため、さらなる飛躍のため新天地に旅立ちます。

目的は本当の鞄作り学ぶ事です。
1997機能性とデザイン性を重視した物作りに憧れて、ラカージュ会社を再建時に一緒に経営をお手伝いしました。

目的は本当の鞄作り学ぶ事です。

バックの勉強をしようとイノウエを飛び出します。
1997このままでは本当に価値のある仕事ができなくなると思いバックの勉強をしようとイノウエを飛び出します。

東京へ戻り109でお店を任される
1987〜1997東京に戻り任されたのは渋谷の109。

当時の109は高級路線でルミネのようでしたが土地柄、場所柄もありトレンドを追って追っての毎日でした。

2年がたったある日、父親から連絡があり東京へ呼び出されます。
19872年がたったある日、父親から連絡があり東京へ呼び出されます。

大阪の支店を任される
1985鞄作りに対する甘い気持ちを見透かされ大阪への出向を命じられました。

ここでだめなら終わりだと必死に商売を学びました。

いつしかお金をもらうありがたみ、意味を自覚するようになりました。

イノウエサックスで働く事になりました。
1985大学を卒業後、手に職を親つてに頼み込み

イノウエサックスで働く事になりました。

西早稲田
1963西早稲田で生まれ育った私にとって『目白』と言えばあこがれの土地でした。

本当の意味での山の手、土地柄に憧れを持っていました。

35歳の高校生 スクールバッグ